校長の子 2
私の思う「校長の子」の特質を表わす「はねっかえり」は,すべての「校長の子」に出現するのではなく、多感な時期にすでに親が校長であったというのが、一つの条件ではないかと思われる。
先に生まれた兄弟は親が校長になる前の若い時の子として育てられるので,「校長の子」の特質を備えきれていない。「校長の子」の特質は世代の離れた下の兄弟や、末っ子に出る ノデハナイカ。
一代で成り上がった校長や人格の陶冶が十分になされなかった「校長」にその種の「子」ができる ノデハナイカ。
先祖代々とか一族みな教育者などという家系には、「校長の子」は出現しにくい ノデハナイカ。
で、私の子育てだが、親の真逆に行ってしまった。
勉強は受験期に、本人がやりたくなってからでよい。小さな時は、体力づくりと心が大事と,学校の校庭を借り,「子供を外で遊ばせる会」をつくった。我が子を他の子の誘いだしの駒にし,外遊びに呆けさせた。塾は不要とし,毎年末の長期間,海外に乞食旅行に連れ出した。
のびのび子育ての結果は、子が評価するだろう。今の私のように…
ほんとうは、何だって、ほどほどがいいのだろうが、ほどほどとはいかないのが、「はねっかえり」の真骨頂なのだ。
昔はさんざんのろった我親であったが、今は結構良かったと思っている。何故なら、自らは実現できていなくても、ある種の基本線と理想を親は私に掲げた。私は正義感が強すぎることも、理想を追うことにも、人に正しいと思うことを強制することも。多くのリスクが伴うことを長い時間をかけて、自分の人生で知った。まだまだ勉強中だけど、いい人生が開けてきて、心穏やかな老後を迎えだした今日このごろなのだ。
今なら言える。父よ母よ。あなたの子であったことを私は面白く思い,感謝している。「校長の子」にはリスクがあるが、大化けすることもある。悲観しないで、頑張れ。もし読んでいるあなたがもしもそうだとしたら。
先に生まれた兄弟は親が校長になる前の若い時の子として育てられるので,「校長の子」の特質を備えきれていない。「校長の子」の特質は世代の離れた下の兄弟や、末っ子に出る ノデハナイカ。
一代で成り上がった校長や人格の陶冶が十分になされなかった「校長」にその種の「子」ができる ノデハナイカ。
先祖代々とか一族みな教育者などという家系には、「校長の子」は出現しにくい ノデハナイカ。
で、私の子育てだが、親の真逆に行ってしまった。
勉強は受験期に、本人がやりたくなってからでよい。小さな時は、体力づくりと心が大事と,学校の校庭を借り,「子供を外で遊ばせる会」をつくった。我が子を他の子の誘いだしの駒にし,外遊びに呆けさせた。塾は不要とし,毎年末の長期間,海外に乞食旅行に連れ出した。
のびのび子育ての結果は、子が評価するだろう。今の私のように…
ほんとうは、何だって、ほどほどがいいのだろうが、ほどほどとはいかないのが、「はねっかえり」の真骨頂なのだ。
昔はさんざんのろった我親であったが、今は結構良かったと思っている。何故なら、自らは実現できていなくても、ある種の基本線と理想を親は私に掲げた。私は正義感が強すぎることも、理想を追うことにも、人に正しいと思うことを強制することも。多くのリスクが伴うことを長い時間をかけて、自分の人生で知った。まだまだ勉強中だけど、いい人生が開けてきて、心穏やかな老後を迎えだした今日このごろなのだ。
今なら言える。父よ母よ。あなたの子であったことを私は面白く思い,感謝している。「校長の子」にはリスクがあるが、大化けすることもある。悲観しないで、頑張れ。もし読んでいるあなたがもしもそうだとしたら。