天木直人のメルマガは面白い!
小沢判決はどうなるのだろう?
小沢問題を私はずっと関心を持って見続けてきた。政治の世界は,策謀がうずまく世界なのだろう。ヘタな推理小説よりもよほどすごい。恐ろしくもあるが…
天木直人が以下のメルマガを送ってきた。4月26日を私はじっと見守っている。
↓
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ここ数日の間、私は連日のように東京を往復して小沢裁判の問題に関わってきた。
小沢問題にここまで関わることは私の本意ではなかったのだが、行きがかり上そうなってしまった。
私をそうさせたのは無私の立場から真実を追求したいと願って小沢問題を調べてきた何人かの良心的な市民活動家の誠意と熱意であった。
そして国会議員でただ一人、小沢問題に真剣に取り組んできた森ゆうこ議員と話しながらその活動に敬意を抱いたからである。
小沢問題が国家的な陰謀であることはもはや疑いの余地はない。
しかし、だからこそ、その証拠を突き止めることは不可能だ。
権力側は決して証拠を見せないからだ。
たとえ証拠が見つかってもそれを認めないからだ。
そのような制約の中でどうしたら動かぬ証拠を見つけられるか。
私の関心はその一点であった。
そして様々な情報を通じて私が確信するに至ったのは「検察審査会は開かれていなかったのではないか」という疑惑を徹底的に検証することだった。
なぜならば小沢起訴は検察が二度にわたって不起訴にしたものを国民から選ばれた検察審査会が強制起訴したからだ。
もし検察審査会が開かれていなかったら強制起訴は成り立たない。裁判そのものが成立しない。小沢一郎が裁判で問われているものが、秘書との共謀であろうが、政治資金の記載漏れであろうが、そんな事は二の次だ。そもそも裁判が成り立たないのである。
もし検察審査会が開かれなかったにも関わらず小沢一郎を起訴したならそれは紛れもない陰謀であり国家犯罪である。
どんなに国民が無知、無関心であってもさすがに気づくだろう。この国はとんでもない国だと。だから一点突破で「検察審査会は開かれていなかった!」という新事実を明らかにすればいいのだ。
もちろん検察審査会が開かれていなかった、というのは誇張である。形式的には開いた形を取っていたに違いない。しかしそれは全員が一同に会してまともに話し合って審査したと言う意味での審査会ではないということだ。
すべては最高裁、最高検がシナリオを書き、決議に導いたという意味で開かれなかったという意味だ。
その証拠を市民活動家が見つけ、森ゆうこ議員と一緒になって最高裁、最高検に質してきた。
ところが最高裁、最高検は一切の応答を拒んできた。どうにもならないから森議員が衆参両院議長に検察審査会の実態を調査する法務委委員会秘密会の招集を求める要請書を提出したのだ。
遅きに失したうらみはあるがそれでも判決前にそれを求めた事は正しい行動だ。
残念ながらその要請書に署名した国会議員は720余りいる国会議員のうちのわずか100名余りであった。
この国の国会議員が、いかに問題意識が希薄であるかということだ。最高裁、最高検に対して臆病であるかということだ。
しかも大手メディアはこの重大な動きについて書かない。きょう(4月24日)の新聞もほとんどもの森議員の行動を無視している。
私が見落とさなかったのは読売新聞の記事だ。
読売新聞は「検察審査会制度に詳しい専門家」の名を借りて、判決直前にこのような動きを見せるのは政治の司法への介入だと批判している。
とんでもない。
法務委員会で検証しようとしているのは司法官僚の実態だけではない。検察審査会が適正に開かれていなかった事を知っていながら、あたかもそれが開かれていたと当然のように書き続けたメディアの共謀性を問うことでもあるのだ。
森ゆうこ議員の調べで検察審査会が適正に開かれていなかった事を示す決定的な証拠が見つかった。
検察審査会法では、検察審査員を前にして検察官はなぜ起訴しなかったか、出来なかったか、その理由を検察審査会が起訴議決する前に説明氏なければならない事になっている。
ところが担当検察官がそれを行なったのは何と強制議決の後だったと証言している者がいることがわかった。
この疑惑を森議員が質したところ、その検事は顔面蒼白になったという。
以来その検事は森議員の照会に応じなくなったという。
法務委員会の目的はその検事と証言者の双方を証人喚問し、どちらの言い分が正しいかを白黒つける事にある。
ところがおそらく法務委員会は開かれないであろう。残念ながら、政治家は動かない。
政治家を動かすのは国民だ。その国民を動かすのはメディアの正しい報道だ。
ところがメディアが小沢問題を正しく報じない。
最後の手段は外国特派員協会における記者会見を行なうことだ。外国特派員を通じて世界に発信するのだ。
この国は政治弾圧を公然と行なう違法国家だ、日本のメディアはそれを知っていながら書かない。権力側ついて正しい報道をしない。だから外国特派員の助けを借りてこの国で行なわれている一大政治弾圧を世界に伝えて欲しいと訴えるのだ。
そしてその記者会見を行うのは26日の判決前でなければならない。判決で有罪が下されればすべては終わりだ。
その前にどうしても記者会見を行なう必要があるのだ。出来れば小沢一郎自身がそれを行なうのがベストである。
私なら記者会見に出てこう訴える。
「私は明日(26日)無罪の判決を受けると確信している。しかしたとえ無罪判決が出たとしてもその判決は無効だ。なぜならば検察審査会の適正さに疑義が見つかったからだ。だから明日の判決言い渡しは延期される事を求める。検察審査会の疑惑が解明された後に私はいかなる判決も受け入れる。この事を伝えたいためにここに来た、」と。
果たして25日の外国人特派員協会における記者会見は開かれるだろうか。小沢一郎は出席するだろうか。
因みに私が23日に外国人特派員協会を訪れた時、そこには判決が下される26日の午後に政治評論家のジェラルド・カーティスが「小沢裁判、判決結果とその衝撃」というタイトルで講演することが掲示されていたのを見つけた。
権力側はすべて見通しだ。手回しが行き届いている。
だからこそ小沢一郎は25日になんとしてでもそこで記者会見を開かなければならないと思う。
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↑
すごすぎる… まっ新聞ってのは,悪く書こうとすれば,写真までわざわざ変なのを出してくる。どう書くのだろう。まっあとでゆっくり図書館ででも読んでみる。
小沢問題を私はずっと関心を持って見続けてきた。政治の世界は,策謀がうずまく世界なのだろう。ヘタな推理小説よりもよほどすごい。恐ろしくもあるが…
天木直人が以下のメルマガを送ってきた。4月26日を私はじっと見守っている。
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ここ数日の間、私は連日のように東京を往復して小沢裁判の問題に関わってきた。
小沢問題にここまで関わることは私の本意ではなかったのだが、行きがかり上そうなってしまった。
私をそうさせたのは無私の立場から真実を追求したいと願って小沢問題を調べてきた何人かの良心的な市民活動家の誠意と熱意であった。
そして国会議員でただ一人、小沢問題に真剣に取り組んできた森ゆうこ議員と話しながらその活動に敬意を抱いたからである。
小沢問題が国家的な陰謀であることはもはや疑いの余地はない。
しかし、だからこそ、その証拠を突き止めることは不可能だ。
権力側は決して証拠を見せないからだ。
たとえ証拠が見つかってもそれを認めないからだ。
そのような制約の中でどうしたら動かぬ証拠を見つけられるか。
私の関心はその一点であった。
そして様々な情報を通じて私が確信するに至ったのは「検察審査会は開かれていなかったのではないか」という疑惑を徹底的に検証することだった。
なぜならば小沢起訴は検察が二度にわたって不起訴にしたものを国民から選ばれた検察審査会が強制起訴したからだ。
もし検察審査会が開かれていなかったら強制起訴は成り立たない。裁判そのものが成立しない。小沢一郎が裁判で問われているものが、秘書との共謀であろうが、政治資金の記載漏れであろうが、そんな事は二の次だ。そもそも裁判が成り立たないのである。
もし検察審査会が開かれなかったにも関わらず小沢一郎を起訴したならそれは紛れもない陰謀であり国家犯罪である。
どんなに国民が無知、無関心であってもさすがに気づくだろう。この国はとんでもない国だと。だから一点突破で「検察審査会は開かれていなかった!」という新事実を明らかにすればいいのだ。
もちろん検察審査会が開かれていなかった、というのは誇張である。形式的には開いた形を取っていたに違いない。しかしそれは全員が一同に会してまともに話し合って審査したと言う意味での審査会ではないということだ。
すべては最高裁、最高検がシナリオを書き、決議に導いたという意味で開かれなかったという意味だ。
その証拠を市民活動家が見つけ、森ゆうこ議員と一緒になって最高裁、最高検に質してきた。
ところが最高裁、最高検は一切の応答を拒んできた。どうにもならないから森議員が衆参両院議長に検察審査会の実態を調査する法務委委員会秘密会の招集を求める要請書を提出したのだ。
遅きに失したうらみはあるがそれでも判決前にそれを求めた事は正しい行動だ。
残念ながらその要請書に署名した国会議員は720余りいる国会議員のうちのわずか100名余りであった。
この国の国会議員が、いかに問題意識が希薄であるかということだ。最高裁、最高検に対して臆病であるかということだ。
しかも大手メディアはこの重大な動きについて書かない。きょう(4月24日)の新聞もほとんどもの森議員の行動を無視している。
私が見落とさなかったのは読売新聞の記事だ。
読売新聞は「検察審査会制度に詳しい専門家」の名を借りて、判決直前にこのような動きを見せるのは政治の司法への介入だと批判している。
とんでもない。
法務委員会で検証しようとしているのは司法官僚の実態だけではない。検察審査会が適正に開かれていなかった事を知っていながら、あたかもそれが開かれていたと当然のように書き続けたメディアの共謀性を問うことでもあるのだ。
森ゆうこ議員の調べで検察審査会が適正に開かれていなかった事を示す決定的な証拠が見つかった。
検察審査会法では、検察審査員を前にして検察官はなぜ起訴しなかったか、出来なかったか、その理由を検察審査会が起訴議決する前に説明氏なければならない事になっている。
ところが担当検察官がそれを行なったのは何と強制議決の後だったと証言している者がいることがわかった。
この疑惑を森議員が質したところ、その検事は顔面蒼白になったという。
以来その検事は森議員の照会に応じなくなったという。
法務委員会の目的はその検事と証言者の双方を証人喚問し、どちらの言い分が正しいかを白黒つける事にある。
ところがおそらく法務委員会は開かれないであろう。残念ながら、政治家は動かない。
政治家を動かすのは国民だ。その国民を動かすのはメディアの正しい報道だ。
ところがメディアが小沢問題を正しく報じない。
最後の手段は外国特派員協会における記者会見を行なうことだ。外国特派員を通じて世界に発信するのだ。
この国は政治弾圧を公然と行なう違法国家だ、日本のメディアはそれを知っていながら書かない。権力側ついて正しい報道をしない。だから外国特派員の助けを借りてこの国で行なわれている一大政治弾圧を世界に伝えて欲しいと訴えるのだ。
そしてその記者会見を行うのは26日の判決前でなければならない。判決で有罪が下されればすべては終わりだ。
その前にどうしても記者会見を行なう必要があるのだ。出来れば小沢一郎自身がそれを行なうのがベストである。
私なら記者会見に出てこう訴える。
「私は明日(26日)無罪の判決を受けると確信している。しかしたとえ無罪判決が出たとしてもその判決は無効だ。なぜならば検察審査会の適正さに疑義が見つかったからだ。だから明日の判決言い渡しは延期される事を求める。検察審査会の疑惑が解明された後に私はいかなる判決も受け入れる。この事を伝えたいためにここに来た、」と。
果たして25日の外国人特派員協会における記者会見は開かれるだろうか。小沢一郎は出席するだろうか。
因みに私が23日に外国人特派員協会を訪れた時、そこには判決が下される26日の午後に政治評論家のジェラルド・カーティスが「小沢裁判、判決結果とその衝撃」というタイトルで講演することが掲示されていたのを見つけた。
権力側はすべて見通しだ。手回しが行き届いている。
だからこそ小沢一郎は25日になんとしてでもそこで記者会見を開かなければならないと思う。
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すごすぎる… まっ新聞ってのは,悪く書こうとすれば,写真までわざわざ変なのを出してくる。どう書くのだろう。まっあとでゆっくり図書館ででも読んでみる。