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2013-02

30年(35年!)ローンは組んではいけない!

 こういうのは直感でわかって欲しいなあ。

 住宅の法定の耐用年数は木造で約20年鉄筋,鉄骨で約40年だ。耐用年数以上経った建物は「古家付き土地」ということで,市場では土地値以下(こわし代がかかるので)になることが多い。

 購入する家の残存価値を越えて長いローンを組ませるというのはあやしくないか?

 そもそも本来買う能力がないということがわかっている相手に売りたくて,あの手この手で貸す方と売る方が仕組んで思いついたのが長期ローンなのだ。家がより頑丈になったわけではないよ。

 その昔,バブルの以前から政府まで後押しして銀行だけでなく住宅金融公庫なんていうのまでも「ステップローン」というのをつくって,(5年目までは金利を抑え,6年目10年目に金利を二度ドカンと上げる)そうすれば,買う時点での年収に対する支払額が抑えられる。(未来の収入については双方で考えないことにして),どうだ買いやすいだろう!って皆でやってしまったのだよ。

 アメリカのサブプライムローンよりも早く,この日本で考え出され多くの人を破たんさせた歴史があるのだ。

 あんまり言いたくないけど,
 ●放射能の影響がはっきりあらわれてこの先土地値は下がる一方だ。
 
 あんまり言いたくないけど
 ●家というものは経年変化と共に確実に修理や補修が必要なのだ。金を食うものなのだ。
 場合によっては二重ローンでまた事故や災害で三重ローンだ。

 あんまり言いたくないけど
 ●この先放射能で体調をくずす家族も増えるだろう。出ていくお金がさらに必要になるだろう。

 あんまり言いたくないことだけど
 ●30年どころか20年ももたない夫婦が多い時代なのだ。相手や子と別れても慰謝料代わりに家をやって(もら って)ローンを払い続け(払ってもらい続け)ますか?

 30年ローンなんて話に乗るな!先ずは貯める能力があることを5年かかって確認し(貯金して)最長15年の ローンだ!




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秀逸な投稿だなあ!阿修羅より

うまい文だなあ~ 

 うちの食材はほぼ9割は西日本産だ。東のものを全く食べないで過ごすこともできる。東の子や孫に済まないと思いつつ、年寄りの私たちが毎日いいものを食べてる。食べて協力はできない。作って協力はできても…。うまければうまいほど悲しい…。今後東で間違っても住宅ローンは組むな。特に30年ローンなんて駄目だ。(←今度書く。サブプライムローンの走りは日本だったのだよ。不幸な人々を創り出した責任は住宅&不動産業界にいた私にもあるのだ…)

以下秀逸投稿の紹介 読んで下され ↓
-------------

 中露独印は、供託国家ヤマトを建国し一億人の個人・法人を募集し西日本在住型・大陸移住型・二重国籍型を日本と協議すべきである
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/723.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2013 年 2 月 24 日 17:27:39: /puxjEq49qRk6


 福島・栃木・千葉の6割と東京の12%の土地が壊死したようで東日本は遅かれ早かれ終わりである。
それも当然で立ち入り禁止のレントゲン室より被爆量が多くウクライナ基準なら立ち入り禁止エリアなのである。
 それをこれまでの基準が厳しすぎたとなし崩し的に場当たり的に基準を緩め病人や急死が積み上がっても必ずしも放射能被爆が原因とは言えないとディベートごっこのような言い訳を繰り返すだけで手を打たず今後も同じである。
 国民の生命・自由・財産を守れなくなった日本国は危険水域にありTPPを締結したり参院選でも不正選挙を繰り返すようだともはや国家ではないが国民の側も体を東京から避難させる事と不動産を処分して換金しておく又はローンという借金を帳消しにしていつでも東京を脱出できる状態にして働き続ける事が大事である。
 毎回書くが意味もなくストロンチウムまみれの東京で生活している女房・子供や名ばかり社員の氷河期世代は西日本に先行移住し亭主や仲間の受け入れ準備を開始すべきである。
 そして余力あらば西日本も駄目になった場合に備えて貿易世界一の中国、指導者世界一のロシア、横綱候補のインド・ドイツと将来性ある国への集団帰化を研究する事である。
 そんな馬鹿なと私も思いたいが自公政権で偽キムチを受け入れて以来大作とクルクルパーの小泉で日本国を偽ユダヤに差し出してしまいそれ以前の日本を懐かしんでもこの不可逆性は修正がきかず連中を追い出す為にこれから戦う訳だが勝っても新日本の建国が必要だし負ければ脱走が必要だしよくも悪くも昔の生ぬるい日本は二葉百合子と松村和子と太田裕美が岸壁で木綿のハンカチーフを振って三味線をベンベンさせながら帰ってこいよーと叫んでも戻ってこないのであり体はそれぞれの事情で考えればいいが脳内は土地と共に生きる農家すらもう定住思考は捨てるべきである。
 考えてみれば素晴らしい土地だが日本列島はただのハードであり日本国はOSだが偽ユダヤウィルスと偽キムチウィルスに汚染されてしまいこのままだとソフトである大和民族も駄目になってしまうから机の位置はそのままだろうが移動しようがどうでもいいがデスクトップをノートやスマホに交換しOSもウィルス耐性の強いものと交換し大和民族は出直しヌードをしなければならないのである。
 それを脱ぐのは嫌とか小娘みたいな事をぬかしていたらピチピチギャルに席を奪われて芸能界で生き残れなくなってしまうのであり大女優になる自信があるのならあの○○がソープで働いていたとか週刊誌に書かれたくなければ減るものじゃないのだからスッポンポンになりスケベなファンを喜ばせてやればいいのでありとにかく芸能界で生き残り一発大逆転を狙って精進しなくては駄目で昔の成功体験や安定は捨ててその倍の大成功を狙っていばらの道を進むべきであり大和民族もその岐路に立たされているのであり喜んで前に進まなければ駄目である。
 連中が日本列島と日本国に投網を仕掛けてくるならラグビーのステップでかわすなりハサミでちょん切るなり偽ユダヤめがけて猛タックルをして棺桶送りにするなり頭を使う事が大事でありやめてよーとか憲政の常道に照らしておかしいとかプンプン怒っている場合ではなく逃げるなりかわすなり倒すなりしてから安全を確保してからゆっくり学級会をやるべきである。
 日本人は偽ユダヤや偽キムチより数段優秀でカルタゴやインディアンのようにはならないと楽観しているが高齢社会で知恵は頼もしいが年齢的に安定志向が強く高齢者は元々血の気の多い世代だったから現役世代が彼らのお尻を叩いて老若男女で二千年ぶりのスーパーカイゼンに着手しなければ駄目である。
 水戸黄門ではないが泣くのが嫌ならさあ歩けであり職場と住居は平時であれば大事だが有事というより人類史の大変革期に果たしてその餌場とうさぎ小屋が執着するに値するものか換金しておくべきものか家族でよくよく相談し総論賛成各論反対で決まらない時はスケベ親父が写真で風俗嬢を選ぶ時のように独断と偏見で決断すべきでありそれが朝のごみ捨て係の専権事項であり特権というものである。
 誇り高き大和民族は偽キムチや偽ユダヤの奴隷になどなってはならずキャバクラに行けなくなるから集団自決なども愚かであり知恵を絞って固定観念を捨てて私も今まで国家っていうのは大きな家みたいなものでさあという感じで倫理・社会の時間みたいな学生運動世代みたいな社会契約説がどうたらこうたらなどと理屈っぽい事は考えた事はなくエロ本ばかり読んでないでマルクスを読めとかいう義兄をアホかと思っていたがリバイアサンが大暴れを始めた今となっては国家をゼロベースで見直して住まい選びやキャバ嬢選びみたいに日本一筋とかあなた一筋とか演歌みたいな感覚を捨てて国家と気楽に向き合わなければ駄目である。
 そこらへんは日本に生まれてこの方あんまりいい事がなかった氷河期世代が頭では分かっていないだろうが体で国家は必ずしも国民を幸福にするものではないと身に染みて分かっているから彼らの自由な感覚を採用して柔軟に大和民族の生き残りを検討する事である。
 一億人が普通と常識を共有している民族など宇宙を探しても日本にしかなくゴマ粒程度しかおらずゴマ粒みたいな脳みその偽ユダヤなど我々が本気を出せばちょろいのであり私脱いだら凄いんですという感じで自信を持って突き進む事である。
 国家を建設するというのは子供の時に段ボールで基地を作りお菓子や漫画を持ち込んでワイワイやったのと大差なく簡単である。
 先ずは犬のうんこを踏むくらいの確率に高まった東京で急死させられないように脱出しカラスの糞を浴びるくらいの確率で身ぐるみ剥がされそうなTPPを国籍離脱も含めて攻略する事を考えて家族や友人を守る事である。
 音楽のテストや裁縫より簡単である。
-----------
↑ 以上

釜山旅行 7( 旅の後で)

日本に戻って勉強したら、韓国内全体でも、釜山で見学してきたような博物館や歴史教育館があちこちにできていた。日帝時代の迫害、虐待のあとを残そうとするモニュメントの設置なども入れると相当数に上るようだ。それもここ10年以内にできたものも多い。日本がより信用ならない時代になってきたということだろう。

 30年ほど前に行った時には「釜山博物館」も「近代歴史館」もなかった。           

「臨時首都記念館」だけは1984年開館だが、2008年この館の裏手に建て増し、追加オープンしている。戦時中の韓国民の悲惨な資料映像の追加だ。リアルなアニメが多い。子供への教育機関だ。

日本が米国から原爆を落とされて、終戦の為にはこれをよかったとする米国人が今も多いが、まともな日本人は許さないだろう。が、今の時代に日本のあちこちに原爆記念館をどんどん増やすということを日本人ならやれるだろうか。

原爆は悲惨を極めたのだ。人として二度と許してはいけない。

日本が戦争に負けた後、原爆を落としたアメリカをあっさり許し、決して対等ではない2国間の同盟を喜んで続け、米国と共にいまなお原発を推進している。物質的な豊かさの前には敵も味方もなくなり、さらに国の上におおいかぶさるグローバル企業に、目くらましをされている。

韓国が近代化したのはまぎれもなく日本の統治があって、それからベトナム戦争による特需があって、オリンピックがあった。韓国人は何故豊かさの前に目くらましを受けないのか。

日本人があっさりと捨てた心「人として決して許してはいけないことを忘れない。乗り越えて何代も伝え続ける」という心。

忘れやすい日本人は韓国人よりもいいのか。

原爆は1回だけだったということがあるにせよ、100年以上にわたって民族が日本人から受けた心身の傷。多くの肉親の生き証人がいるのだ。その傷を絶対忘れないとする心は悪いのか。

日本人が「もう3回も4回も謝っただろう!」というのは誤まっている。共に忘れないで生きる。人間というのは同じ過ちを繰り返すものだ。

国中に「相手から虐待を受けた傷を忘れない」という施設をつくるというのは、逆に言えば自分達は虐待をしないと宣言してくれているのと同じだ。実際に暖かい人が日本人よりもあきらかに多いのだ。泣けてくるほど冷たい心の日本人が増えているゾ… 日本人で米国に留学して帰っても変なのも多いし…

どんどんこういう施設はつくってもらい、日本人は何度でもごめんなさいと言うしかない。歴史から学ぶとはそういうことだ。

慰安婦問題について言いたい。死ぬ間際に恥ずかしさに耐え、民族の為に出てきたあの方々をその種の職業婦人だと言う人がいたら、人間への観察力が全く劣る人だ。ウソをついているか、真実かも見抜けない。政治家なら大いに資質を欠く。

竹島は私なら差し上げたい。ただし、お詫びとしてだ。お詫びとして差し上げる文言をきっちり作ってだ。それよりも日本の耕作放棄の農地を何故日本人にタダでやらないのか。使いもしない中国人が外国人が合法的に買い占めるのならいいのか。私にはこのほうが重大問題に思える。

 (釜山旅行 完)




釜山旅行 6

 釜山で初めて行った3か所のお勉強場所とは

➀釜山近代歴史館
➁臨時首都記念館
③釜山博物館

 すべてを日本語の解説付きでまわることができる。誰でも無料で入れる。学校の児童、生徒の団体もいくつか来ていた。ここで展示されている事物を額面どおり受け取るならば、古代には朝鮮からさんざん学びながら、その恩を忘れ、朝鮮民族には暴虐を極めた「日本」というものを、これでもかと浮き彫りにして見せてくれるような展開になっている。
 日本人としては居たたまれない気持ちを抱かされる。絵やリアルな人形もふんだんにあった…

 釜山博物館を後にして空を見上げると万国旗がはためいていた。が、さがしても日本の国旗はどこにもなかった…

 このうちの近代歴史館と臨時首都記念館は日本が建て、敗戦と同時に捨てていった建物だ。

 釜山は100年以上にわたって、日本の植民地だった。朝鮮全土にわたって植民地だったが、釜山は特に朝鮮の入り口としていちはやく港がつくられた。

 釜山近代歴史館は「国策会社」(←表現のまま)の東洋拓殖㈱の釜山支店の建物だった。

 釜山には日本人の居留地を中心に大掛かりな街がつくられた。朝鮮農民を追い出し、電車を走らせ、今のソウルに至るまでの鉄道を敷き工業を起こし、大陸と日本をつなぐ足がかりの街がつくられたのだが、それもこれも日本帝国主義の侵略と収奪が目的であった。(←表現のまま)

 朝鮮人は日本に一度も攻めていったことがないのに、日本人がやったことは

 百万人以上も日本に強制連行し、広島で被爆した者を援護法の外におき、ハングルは禁止し、朝鮮名から日本名へ氏名の強制変更させ、慰安婦への謝罪も不十分。

 まったくとほほの展開で… ん~ん。首をうなだれて出てきたのだが… 

 続く(次回は私なりの検証と今後への思いを書きたい)

釜山旅行 5

 今回の釜山旅行が前の2回の韓国の旅と違った点、それは今の韓国人の持っている日本観や色々議論になっている問題について自分の足で調べてみようとしたこと。

 4日間のうち、1日をそれにあてた。韓国の人が受けている対日教育がどんなものかがわかりやすい場所3か所にしぼった。

 その前に

 30年ほど前の旅行では、ある家族経営の小さな韓国式宿に泊まった夜のこと、年寄り夫婦が、私達の子達が寝ている間に(子供を見ていてあげるから)、みんなでカラオケに行ってはどうかと勧めてくれた。若夫婦と私たち夫婦は喜んで街に繰り出したことがあった。実家に子を預けて出るように安心だった。何とその夜は楽しかったことだろう。

 8年前にはたまたま旅行中に「独立記念日」(←日本からの独立)に遭遇し、デモやストで乗っていた列車が止まり、切符の払い戻しを受けたのだが、その記念日のことを知らなかった私たちに、いかにも申し訳ないという風情で独立記念日の説明をしてくれた駅員がいた。

 今回は初日の宿の到着が遅くなり、どこも食堂が閉まっていて、夫の誕生日は小さな飲み屋での食事会となったのだが、一緒に祝ってくれた隣席の若夫婦やママも祝福してくれた。頼んだ注文の品を交換しあったりもした。
 いつだって私たちは韓国の旅の先々で多くの人に世話になり、それは、若い人から年配の人までさまざまだったが、嫌な思いをした記憶がほとんどないのだ。

 西洋ではクールに見過ごされることは多々あったが、切符を買ってくれたり、道案内してくれたり、コインランドリーでお金の両替に走ってくれたり、この人たちのどこかに悪意が潜んでいるなら、その本当の理由を知らないといけないと次第に思うようになったのだ。
 
 続く

 



 

釜山旅行 4

「アカスリ+岩盤浴」初体験の続き

 誘導のままに、浴室に入ったら、大きな浴室には、浴槽が4つ5つとあったが、どれにも湯が入ってなかった。浴槽はどれも完全に乾いてるように見えた…
 全くおっそろしい事態になったものだ…

 まずは、隣室のサウナのドアを開け、入れという。岩盤ではないが、天井、壁に石を張ってあるただのサウナだった。サウナの中は洗濯物干場になっており、あちこちにロープが張り渡してあり多くのタオルやローブを乾かしていて、ベンチにも多くの乾いたタオルが張り付いていた。
 ベンチや床のタオルの数枚を剥ぎ取り、私の場所を確保し、寝るようにと言う。サウナ室に入った時はわずかに暖かかっただけだが、徐々に温度が上がりだした。
 汗が出てきたら、何だか人心地がついてきた。

 頃合いを見て、サウナから出されると、真ん中の小さ目の浴槽にどんどんお湯を入れはじめていて、直径5cm 位のパイプなのでみるみる一杯になってきた。湯に浸かれという。

 湯に浸かった後はサウナ。今度は体に竹塩塗り。汗を出してまた湯、サウナ、毛穴の状態を点検された後?アカスリ台に乗るようにと言われる。

 ついにアカスリがはじまったのだ。

 病気でもないのに全裸になって、他人に自分の身を預けてお世話をしてもらうなんてのはボケない限りこの先ないだろう。仰向け、うつ伏せ、横寝、シャンプー、指の股1本1本までもアカ落としだ。

 あはっ。こんなすごい仕事あるの~ ぎゃは~ 気持ちいい~

 毎日風呂には入っているのに、太ミミズのようなアカがボロボロ。終わりにはマッサージもしてくれて、お肌ツルツル、かかとは何をやったのか謎。今もツルツル。

 で、夫はどうだったかって?担当はマツコでなく、40代後半の男性だったとのこと。金●の裏までアカスリされたそうで、しばらく「親にも洗ってもらったことがない場所を…」とつぶやいておったです…

 一生懸命お仕事してくれてありがとう!私たちの思い出になったよ。二人の間で「アカスリ」というとつい笑ってしまう素敵な語り草の一つになったのだ。あの店潰れないでこれからも頑張って欲しいなあ。

釜山旅行 3

「アカスリ」+「岩盤浴」+「マッサージ」コース初体験の話

 日本に戻ってきてから4日経つのだが、夫が何と韓国語を行く前以上に勉強している。次回の旅の備えがはじまったようだ。行ってよかったのだそうだ。モチ私も。

「アカスリ」ってのは、昨今は日本のスーパー風呂屋なんかにも常設してあったりするのだが、30年ほど前に行った時の韓国にはすでにあった。

 私は今まで、こういうものは、人にやってもらうものなのか、手の届かない背中を洗ってもらう位のことはあっても。あられもない姿で、一生やらないだろう… だったのだが。

 君子(淑女)豹変ス

 人は時には違う道を歩き、違う店に入り、やったことのないことをやり、会ったこともない人と話しをすることは大事なことなのだヨ。

 今回の旅のガイドブックはネットで仕入れた中古本だったのだけど、写真で一番繁盛してるらしく見えたその岩盤浴場に足を運ぶと、実際は他に客が一人もいない青息吐息の店だった。この業界は栄枯盛衰が激しいのだろう。他にあちこちでその日も派手に宣伝してたから。

 4階建のビルの1階の前に立ったとたん、奥から少々険しい雰囲気で素顔の年配女性が2人出てきて言った。「男も女も一人4500円(5万ウオン)。料金は前払いダヨ」(←日本語で)

 やると決めて出かけてきたので、私は逃げない。夫は逃げ腰だったのだが、逃がす訳には行かない。私一人だと見知らぬ街で飯炊き婆用に売りとばされるかもしれないからだ。

 お金を払ってると化粧の濃いデラックスマツコみたいなのが奥から出てきた。

 「女は2階、男は3階ヨ」

 2階に行ったら、さっきの年配女性の一人がやってきた。ロッカーの鍵をくれて、「服を脱いで、ロッカーに入れ、全裸になって浴室に入るね」と言う。この女性が担当なのだ。

 夫の担当は果たしてマツコなのだろうか? 続く



釜山旅行 2

 格安チケットの場合、現地に夜遅く到着するものが多い、(出発は逆に早朝が多い)。今回は釜山に5日宿泊したが、動けるのは4日間だ。

 小リュックと機内持ち込み可能なバッグだけだから、いち早く空港を背にすることができるのだが、それでも一夜目は宿をめざして、夜の街をさまようことになる。外国の街の夜は一段とわかりにくい。

 今から20年以上も前のインドで、その頃はいつだって宿は現地調達だったのだが着いたのがあまりに遅く、宿のドアをたたいても次々と断られた。
 カルカッタのサダルストリートという安宿街がその時の初日の宿だったがバスで市内に入る時目にしたのは、道路の両側に毛布一枚で寝ている人々の群れだった。このまま断られ続けると道路で寝ることになると親子共々あせったものだ。

 今はネットがあるので、予約も日本で済ませて出ることができる。夜遅くても、宿が決まっているのは安心だ。もうそんなに無茶はできない。今回携帯電話も初利用でフロントともやりとりできた。迷子になっても夫をさがせる。便利だ。

 それとあんまり移動しない旅になった。8年ほど前の韓国でも30年前の韓国でもソウルから入って国中を一回りした。

 じっくり定点で楽しむ。そういう旅もいいと思うようになった。宿を日本で決めてしまうから、あたりはずれがあっても修正できないが、それも楽しめばいいのだ。

 日本にいるときから食事は一日2食なのだが、旅先の2食はお楽しみタイムだ。釜山の朝食は3回はチャガルチ市場で食べた。宿からは歩いて2キロほどだが、帰りもブラブラして帰るので、とにかくよく歩いた。

 店の前で盛大に魚を鉄板で焼いていて呼び込んでいる。そんな店で2回、手打ちのうどん屋で1回、一度慶州に足を延ばしたので、駅の食堂で1回食べた。これでもう朝食4回だ。

 何を頼んでも数種類のキムチがついてくるし、店ごとに違う味でこれがまた楽しみだ。

 夫も私も旅先ではごった返しの市場のようなところが一番好きなのだが、そういう場所にはこと欠かない。
 老若男女店ところ狭しと店を出している。活気も熱気もすごい。ちゃんとした銀行の前でも立派なビルの前でもどこでも露店OKの大らかさがあるのだ。

 慶州に行った時、とある銀行の入り口のいくつかあるその一つの扉を閉鎖していて、素通しのガラス戸なので中が見えたのだが、一人のおばあさんのホームレスの為にそのスペースを確保してあげていたのだ!ホームレスを排除してないどころか守っていたのだ… 日本ではどうだろう 続く

釜山旅行 1


 あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。ブログ書いてないのに色々ご訪問いただきまして大変ありがとうございました。新しく書かないほうが訪問が多かったりして…((+_+))

 ブログでこれだけはと、言いたいことを書き綴っても、あらゆる文章は過去に流れていく。

 ブログっていうのは、HPに比べてお手軽な分、自分が思うように機能させにくい。HPを充実させるだけの時間も惜しい。

 もうやめようかなあと行ったり来たりの1か月余だった。

 まっ気を取り直して、日々感じたことちょっと面白いことをこれからもボツボツと綴っていこうと決めた。

 今後ともよろしゆうおねがいします!

 釜山に行ってきた。夫の●●代最後の誕生日に安上がりなどこかへと思っていたら、突然格安航空券の案内が入った。往復3500円!!燃料チャージ込で二人でも2万円弱。コレハ行くしかない…韓国は3度目だ。今回は奮発して思い切って、二人で1泊4000円の宿にした。

 ななんと、風呂もついているのだよ!
前の韓国旅行は大体、風呂なしかシャワー付きだった。銭湯が充実しているので、風呂好きの私たちにも部屋代が高くて変な風呂がついてるよりもずっといい。

 そもそも私たち(←私?)の考える旅行はいつだって「楽しく民間外交」なので、過剰なサービスを期待したことがない。清潔は必須だけど、あとはどうだっていいのだよ。
 提供の食事も大体が口に合わないのだ。
 街に出て、直感に導かれ、体の求める食べ物を探し出してこそ、旅なのだ。

 そしてこのような価格の旅は団体さんの穴埋めの隙間に入れていただく旅なので、それなりに、いい子になって、少しは世の中に還元する必要がある。と思っているのだよ。

 で、今回は韓国と日本の関係についていろいろお勉強してきたのだ。勉強の成果も次回以降に。

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スエヨギ(twitter名 こみなみなみこ)

Author:スエヨギ(twitter名 こみなみなみこ)
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 米づくりやめたきっかけ
 猿30匹による襲撃時の監視カメラ
 からの至近写真 
(2016年10月より主にニンニク栽培に転向)
 
 今の生活は
 軽ワゴン車の移動
 で成立している
 
 月1回400キロの
 2箇所居住地を往復している 
 
 体力&気力&知力と
 見果てぬ夢とのコラボは続くよ

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