「気のパワー (雑感)2」
インドで紹介してもらったヨーガの先生は,60代の女性で穏やかで温かい人だった。落ち着いた綺麗で聞きとりやすい声だった。
私は元もと体が硬く,慣れない体の動きで生じる痛みやら疲れで,「死体のポーズ」が始まるとホッとするのと同時に声の心地よさで,その後はいつだって深い眠りに入ってしまった。
すべて終わってから「終わりましたよ」と声をかけられハッと目が覚める。「気持ちよくなって寝れるくらいだと最高なんですよ」と励まされ,それを喜んでしまうようなただの劣等生だった。その場の生徒の空気も和やかで,ただただその場には心地よい「気」」が流れていた。
教室の帰りには,体中がポカポカし,指先にはいつも感じていたピリピリするあの「気」が出ていた。がそれだけで十分だった。もう「人を飛ばす」ような「気」はどうでも良くなってしまっていた。
長いこと忘れかけていた「気」のことが「気」になり出したのは,鍼灸の先生に「ヨーガを長くされていただけに経絡がしっかり繋がっている」と言っていただいたことで,以前よりも「気」の通りがいい体になっているのではないかとふと思ったからだ。
気というものは目に見えないとはいうけど,「いい気」についての感じ方は結構共通しているようだ。指先がピリピリあるいはチリチリする。体が暖かくなる。熱くなる。軽くなる。それってあきらかに血行がよくなっているのだ。
緊張したり怒ったり悲しんだりすると体は固くなり血行が悪くなる。ゆったりした呼吸は心と体の緊張を取り除いてくれ,それは血行をよくすることにつながる。
でも血行がよくなることイコール「いい気」ではないと思う。それなら運動選手がみんな「いい気」なのか?逆に「虚弱」な人でも「いい気」の人はいるゾ。
人に温かい,いい影響を与えるような力のある「気のパワー」というものはその人の心の持ち方とか,心根とかに大いに関係しているように私には思えるのだ。だからこそ単なる血流量とか電流量とかでは数値化できそうにない,もっとぶっとんでしまって,親の因果,因縁とか不思議な世界の話にまでいっちゃいそうになるので困るのだとも思う。
ついでながら,人と人はいい「気」でつながることが大事だ。自然もいい人の「気」とつながりたがっている。
私は元もと体が硬く,慣れない体の動きで生じる痛みやら疲れで,「死体のポーズ」が始まるとホッとするのと同時に声の心地よさで,その後はいつだって深い眠りに入ってしまった。
すべて終わってから「終わりましたよ」と声をかけられハッと目が覚める。「気持ちよくなって寝れるくらいだと最高なんですよ」と励まされ,それを喜んでしまうようなただの劣等生だった。その場の生徒の空気も和やかで,ただただその場には心地よい「気」」が流れていた。
教室の帰りには,体中がポカポカし,指先にはいつも感じていたピリピリするあの「気」が出ていた。がそれだけで十分だった。もう「人を飛ばす」ような「気」はどうでも良くなってしまっていた。
長いこと忘れかけていた「気」のことが「気」になり出したのは,鍼灸の先生に「ヨーガを長くされていただけに経絡がしっかり繋がっている」と言っていただいたことで,以前よりも「気」の通りがいい体になっているのではないかとふと思ったからだ。
気というものは目に見えないとはいうけど,「いい気」についての感じ方は結構共通しているようだ。指先がピリピリあるいはチリチリする。体が暖かくなる。熱くなる。軽くなる。それってあきらかに血行がよくなっているのだ。
緊張したり怒ったり悲しんだりすると体は固くなり血行が悪くなる。ゆったりした呼吸は心と体の緊張を取り除いてくれ,それは血行をよくすることにつながる。
でも血行がよくなることイコール「いい気」ではないと思う。それなら運動選手がみんな「いい気」なのか?逆に「虚弱」な人でも「いい気」の人はいるゾ。
人に温かい,いい影響を与えるような力のある「気のパワー」というものはその人の心の持ち方とか,心根とかに大いに関係しているように私には思えるのだ。だからこそ単なる血流量とか電流量とかでは数値化できそうにない,もっとぶっとんでしまって,親の因果,因縁とか不思議な世界の話にまでいっちゃいそうになるので困るのだとも思う。
ついでながら,人と人はいい「気」でつながることが大事だ。自然もいい人の「気」とつながりたがっている。
「気のパワーのこと」
私は25年以上前,当時渋谷の表参道にあった「西野流呼吸法」の教室にほぼ1年半通ったことがある。やめる頃には西野先生が雑誌に紹介されどんどん有名になって,入会する人が増え教室が手狭になったり先生以外の指導者が入れ替わったり,時にはちょっと前の生徒の中から抜擢された人が前に立ったりしてきていた。
教室は繁盛し続けビルの1階の喫茶店もなくなって「バレー教室」もなくなり,ビル全体が「呼吸法」の教室になったそのころ私は自分の体の中を巡る「気」を扱いかねるようになってきていた。
「気のパワー」で人を倒すことができる力がつくなんてすごい!←やがて迎える男の子達の反抗期。子育て中の母親がパワーアップしてそれを迎え撃てるなんてイイネ!(^^)!
深い呼吸を使う体操も体にいいに決まってるというわけではじめたのだったが…
入会したばかりの人でも「気」の強い人がいた。手合わせをすると相手の気の強さがわかるようになった。女も男も年齢も関係ないのだ!人によって強く感じる「気」とそうでもない「気」がある。
私は気で人を飛ばすどころか飛ばされるばかり… 体のどこかに滞りがあると,入った「気」が頭に上ったままになったり弱い場所に留まって息苦しくなったりしてしまう。ものなのだそうだ。
↑
教室にヨーガを長年やってきた人がいて,そんな時の私の状態を見て,「両足をトントンやってみて!抜けるから」と言ってくれて,その通りにしたらスッと楽になったことがあった。
やめたきっかけ。その日,教室の階段を登るのが辛く体が何故か向かわず,隣のビルの1階にある「うなぎ屋」でとりあえずお腹に何かを入れてと思い方向転換したのだ。妙に塩素が強い味のする水を使ったお吸い物がついていた…いくらも食べずに残して店を出,そのまま帰った…それで教室ともおしまいだった。
以後いつか私はヨーガをやらないといけないらしいと思うようになっていった。
1990年にインド旅行をした時,南のプリーという町で日本人でインドにヨーガの修業にきていた人に出会い,ヨーガのある流派をすすめられたのだ。日本に帰ってから習うべき先生の名前も教えてくれた。
それっきり「気」のほうの探究はお預けになってしまっているのだけど。
なんでこんなこと今頃思い出したかっていうと,この間の鍼灸の先生は強い「気」を持っていたと思うのだ…夫も「何でかまだ効いてる」って言ってる…
教室は繁盛し続けビルの1階の喫茶店もなくなって「バレー教室」もなくなり,ビル全体が「呼吸法」の教室になったそのころ私は自分の体の中を巡る「気」を扱いかねるようになってきていた。
「気のパワー」で人を倒すことができる力がつくなんてすごい!←やがて迎える男の子達の反抗期。子育て中の母親がパワーアップしてそれを迎え撃てるなんてイイネ!(^^)!
深い呼吸を使う体操も体にいいに決まってるというわけではじめたのだったが…
入会したばかりの人でも「気」の強い人がいた。手合わせをすると相手の気の強さがわかるようになった。女も男も年齢も関係ないのだ!人によって強く感じる「気」とそうでもない「気」がある。
私は気で人を飛ばすどころか飛ばされるばかり… 体のどこかに滞りがあると,入った「気」が頭に上ったままになったり弱い場所に留まって息苦しくなったりしてしまう。ものなのだそうだ。
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教室にヨーガを長年やってきた人がいて,そんな時の私の状態を見て,「両足をトントンやってみて!抜けるから」と言ってくれて,その通りにしたらスッと楽になったことがあった。
やめたきっかけ。その日,教室の階段を登るのが辛く体が何故か向かわず,隣のビルの1階にある「うなぎ屋」でとりあえずお腹に何かを入れてと思い方向転換したのだ。妙に塩素が強い味のする水を使ったお吸い物がついていた…いくらも食べずに残して店を出,そのまま帰った…それで教室ともおしまいだった。
以後いつか私はヨーガをやらないといけないらしいと思うようになっていった。
1990年にインド旅行をした時,南のプリーという町で日本人でインドにヨーガの修業にきていた人に出会い,ヨーガのある流派をすすめられたのだ。日本に帰ってから習うべき先生の名前も教えてくれた。
それっきり「気」のほうの探究はお預けになってしまっているのだけど。
なんでこんなこと今頃思い出したかっていうと,この間の鍼灸の先生は強い「気」を持っていたと思うのだ…夫も「何でかまだ効いてる」って言ってる…