終の住まいへのスタート これでこそ終わりと思っているのだけど…
「医者の不養生」とか「紺屋の白袴」とかいう言葉が世間にはあって,国立ガンセンターの歴代総長は12人中、7人が癌にかかり、5人がガンで死んでいたりする。
つまり,本業の生活に追われ過ぎて,本業で他人を利する(?←(-_-;) )ことができても,本人や身内家族は折角の本業では恩恵を受けられないことを言うわけなのだけど。
私が思うに,本当に好きでたまらない本業というものはその人自身の暮らしにおいてもその力を目いっぱい発揮してこそ他人からも信頼や共感を得ると思うのだけど。
医者が自分の体にこれだと思う健康法をほどこして,それを人に勧め,自身も誰よりも健康で寿命を全うしたり,紺屋が美しい「スーパー袴」で颯爽と仕事してたとしたら,かっこいいと思うのだけど… お客増えるよね。
↑
これって実は私の新たな住まいづくりの言い訳なのだ。ここ数年どうしてもやりたい病が最後の家に向けて私を駆り立てていた。夫に了解もとった。6年前に買った我山で木の伐採が今日から始まった。
13坪の小さな終の家。平家建。日本の真ん中にある,ほどほどの町で,隣にお茶畑のある高台の小さな土地,陽当りのいいあの土地に,自分の山から伐採した木で老後にふさわしいシンプルな家を建てるのだ。
5年前に終の家として買った街の家は,行くたびに改装を重ね,3年以上かけて手直しをしてきたのだけど,完成したとたんにひどくがっかりしてしまったのだ。
ここでは死ねないナ… 便利で楽しい都会暮らしだけど。もっとのびのびしたところでないと。田舎暮らしにすっかりなじんだ体を隣同士が隙間なく建てられた街に移植しようとしたけど無理だった。もっとほどほどの規模の町に移ろう。と。
今度街に戻ったら売りに出す予定。移ることなんか何でもない。ワクワクに比べたら。動けることは嬉しく楽しく希望のわくことだ。ワクワクの方がずっと大きい。未知の友に会うのも楽しみ。多くの知り合いがあちこちにいるのも嬉しい。
夫と指折り勘定したら,それぞれが独身時代から購入したり建てたりした家の数は,今回で夫は10軒,私は8軒目だった。元々似たもの同志だったのだ。私は本業が建築屋だったけど,夫は他業界の人だっただけに,私以上にすごいゾ。

つまり,本業の生活に追われ過ぎて,本業で他人を利する(?←(-_-;) )ことができても,本人や身内家族は折角の本業では恩恵を受けられないことを言うわけなのだけど。
私が思うに,本当に好きでたまらない本業というものはその人自身の暮らしにおいてもその力を目いっぱい発揮してこそ他人からも信頼や共感を得ると思うのだけど。
医者が自分の体にこれだと思う健康法をほどこして,それを人に勧め,自身も誰よりも健康で寿命を全うしたり,紺屋が美しい「スーパー袴」で颯爽と仕事してたとしたら,かっこいいと思うのだけど… お客増えるよね。
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これって実は私の新たな住まいづくりの言い訳なのだ。ここ数年どうしてもやりたい病が最後の家に向けて私を駆り立てていた。夫に了解もとった。6年前に買った我山で木の伐採が今日から始まった。
13坪の小さな終の家。平家建。日本の真ん中にある,ほどほどの町で,隣にお茶畑のある高台の小さな土地,陽当りのいいあの土地に,自分の山から伐採した木で老後にふさわしいシンプルな家を建てるのだ。
5年前に終の家として買った街の家は,行くたびに改装を重ね,3年以上かけて手直しをしてきたのだけど,完成したとたんにひどくがっかりしてしまったのだ。
ここでは死ねないナ… 便利で楽しい都会暮らしだけど。もっとのびのびしたところでないと。田舎暮らしにすっかりなじんだ体を隣同士が隙間なく建てられた街に移植しようとしたけど無理だった。もっとほどほどの規模の町に移ろう。と。
今度街に戻ったら売りに出す予定。移ることなんか何でもない。ワクワクに比べたら。動けることは嬉しく楽しく希望のわくことだ。ワクワクの方がずっと大きい。未知の友に会うのも楽しみ。多くの知り合いがあちこちにいるのも嬉しい。
夫と指折り勘定したら,それぞれが独身時代から購入したり建てたりした家の数は,今回で夫は10軒,私は8軒目だった。元々似たもの同志だったのだ。私は本業が建築屋だったけど,夫は他業界の人だっただけに,私以上にすごいゾ。
